Future Past 2323
吉ヶ池の人々との交流を通して出会った寂れた道具たち(No.1-3&9)。それは人が作り、その営みに寄り添った痕跡。時を経て宿る霊性と生活の記憶は、未来への郷愁につながる。加速度的に進む人類の進歩は、テクノロジーに全てをのみ込まれてしまうのだろうか。否、その先にこそ私たちは、より人らしくあろうとする感性を価値とした文化的な特異点を迎えるのだろうと仮定しました。
この吉ヶ池の古民家にあるのはそんな300年後の人類が暮らす宇宙世紀(おそらく人類は銀河系を自由に行き交っているだろう)において、2023年の現代に過去の道具とされているもの達が、2323年に在ることを思い描いた未来の家具や灯りです。一度は遺物となった古民具の変容は、より新鮮で生命感に溢れた道具として、宇宙を行き交う人類に寄り添う道具になるのではないかと考えました。私たちが生きる今の時代では、まだ見ることのない物語を想像し、共有できる時間になることを願って。
No.1
Bride on Mars
ブライド オン マーズ
火星の花嫁に捧ぐ
「長持(ながもち)」と呼ばれる大きな箱は、かつて地球で嫁入り道具の葛籠(つづら)として用いられていたもの。2323年、火星へと嫁ぐ花嫁。赤い金具に真っ赤な天板のそれは、ともすれば大きな口を開けた箱が“あかんべぇ” をしているような面持ち。花嫁は何を胸に秘め、その家具を携えて火星に嫁ぐのだろうか。
No.2
Dear Astronauts
ディア アストロノーツ
宇宙へ焦がれる人類へ
かつての冬に炭の藁を運ぶためのものだった「橇」を、宇宙を駆ける宇宙船に見立てた。300年後の地上には、未だ宇宙へ出ることが叶わぬ人々がいるかもしれない。それでも誰もが空へ飛び立つことを思うことが、当たり前の時代であることに変わりはないのだろうと願う。
No.3
Cassini, Staring into the Void
カッシーニ スターリング イントゥー ザ ボイド
虚空をみつめるカッシーニ
1675年、天文学者ジョヴァンニ・カッシーニによって発見された土星の環にある空隙(くうげき)。蓑を背負った案山子(かかし)は、宇宙で人々が迷わぬ目印として土星の環に突き立てられる。彼方の空でその虚空を見つめる彼の役目は、遥かその先の銀河への水先案内人になることだ。案山子の名前は、カッシーニ。
No.4
Leading to SOLARIS
リーディング トゥー ソラリス
ソラリスへ至る
日本家屋に在る「襖」という1つのフォーマットを変容させた窓灯り。惑星ソラリスと地上をつなぐゲートとして、いまだ果たせぬ未知との出会いを郷愁の中に視る。「ソラリスの海」は、いま何を思い、私たちに問いかけてくるのだろうか。
「惑星ソラリス」-1977年、アンドレイ・タルコフスキー監督
No.5
How Deep the Dark
ハウ ディープ ザ ダーク
かの闇はどこまでも深く
古い道具にたち現れる痕跡。その質感や傷みが何よりも儚く愛おしい。大きな木箱の蓋であったそれは、いつの頃からか暗く深い闇に紛れる塊となり、虚空に漂うモノリスを想わせる。人類に叡智を授ける恩恵はなくとも、気づきをもたらす「何か」になることを願う。
No.6
Early Dawn
アーリー ドーン
明けの明星を眺める
金屏風。今では使われない晴れの道具。それでもその佇まいは空に輝く金星のように、いつまでも輝きを失わない。いつの時代でも闇が明け朝がくれば、私たちは生きていることに喜びを感じる。その景色を前にして、同時に死を分かち合うことができるのならば、人はまだその先へ向かうことができるかもしれない。
No.7
OBAKE “A”
オバケ ア
今様のへんげ、探求の精神「阿」
提灯化ければ目玉がひとつ。さらに化ければ「阿吽のオバケ」。サンスクリットの梵字で、宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉とされる「阿吽」。さらに「阿 」は、真実や求道心を表すという。赤目が見るのはどれだけ先の未来だろうか。300年後の未来で、人類の真実がどこにあるのかを計り知ることはできない。
No.8
OBAKE “UN”
オバケ ウン
へんげの霊性、涅槃の「吽」
「吽」は智慧や涅槃にたとえられる場合もあるという。涅槃は宇宙の果てにあるものなのか、私たちの身近に在るものなのか。未来の人類にとってのそれは、理解を経た過去の思想になるのだろうか。「吽」のオバケの閉ざされた口元。語ろうとするは私たちの行く末か、300年後の人類の風景か。
No.9
Landing on the Moon
ランディング オン ザ ムーン
月に降り立つ
屋根裏で見つけた古梯子。囲炉裏の煤で染まった墨色に明かりを灯し、月に降り立つ足元を照らす。機能的で理にかなった道具ばかりが必要とされなくなった300年後の未来では、古木の梯子で月に降り立つことが人々のトレンドになっているかもしれない。「ちょっと月まで行ってくるよ。」
No.10
Do Androids Dream of a Luscious
ドゥ アンドロイズ ドリーム オブ ア ルーシャス
アンドロイドは甘美な夢に浸るのか
300年後に「人類」と呼べるものは哺乳類を起源にした我々だけなのだろうか、否、そこには機械を祖先にしたアンドロイドたちもいることだろう。彼らから見れば300年と数十年前の扇風機は祖先も同然なのかもしれない。その存在に憂と愛情を与えることが旧人類としての責任だと想像してみる。
No.11
Do Androids Dream of Blue, Blue and Blue
ドゥ アンドロイズ ドリーム オブ ブルー ブルー アンド ブルー
アンドロイドは果てのない碧を夢見るだろうか
宇宙世紀において「地球」という存在は、どういったものなのだろうと想像する。帰るべき故郷なのか、過去のユートピアなのか。そこにあったご祖先さま(アンドロイドにとって)は人間に隷属した器物なのか、それとも大切なパートナーだったのか。彼(扇風機)のみる夢は、人ならざるものの憂を孕むのか、人ではなかったことに安堵する者(物)の果ての姿なのか。今に答えはありはしない。